0607
濁流
このブログ記事 を読んだ
- ぶっ刺さりまくった
 - このブログは追っていきたい,俺もこういう話がしてー
 - 名言がバンバン出てくる
 
学ぶということは、誰かの視点でものを見ることかもしれないと思った。
自分の見える世界を広げてくれるから、学ぶことは楽しいんだと思う。
人は言語を抜きに世界を眺めることができない ワタナベアニ『ロバート・ツルッパゲとの対話』pp. 59-60
- ↑これは物凄い共感するし,納得感ある
- もう僕らは言葉や言語無しに物事を考えることすらできない
 - 誰かが言っていたが,僕らは無意識のうちに四六時中ものすごいスピードで言葉が頭に浮かんでは流しているらしい
 - 本当はそれらを一個一個拾って吟味するのが良いんだろうが,そんなキャパシティがない
 - でもその中に心の声も混ざっていて,自分が本当にやりたいこと,思っていること,進もうとしている方向も隠れているんだろう
 - その意味では,意図的に思考の速度を落とすことは大切
 
 コップの水理論- 水が半分だけ入っているコップを見て、「水が半分しか入ってない」と思うか、それとも「水が半分も入ってる」と思うか
 
目の前にコップがある。全員がこれはコップだという。そこで、「いや、これは花瓶です」という発想があるか。
こうあらねばならんという意識は、精神が自由ではない。固定概念に縛られずにものを見たら、同じ風景を見ても、もっといっぱい感じるものがあるかもしれない。
久石譲『感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)』p.57
- これは,「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考  にも似たような話しが書かれていた
- この書籍は名著だった
 
 
- さて,このブログを読んで思ったこと
- 一方で、文字や言語、全ての概念がまだインストールされていない赤ちゃんは、世界をどう捉えているのだろうか?
 - 想像することが僕らにはもうできない
 - 僕らは言語で物事を捉え,考えているので,その外の世界に行くことが困難だからだ
 - その意味で,おそらく↑の問の答えはおそらくない
- 答えた時点で我々と同じ世界にいる
 - そもそも問い方がわからない
 - 問を理解できている時点で言語がインストールされている
 - よしんぼ問を投げれて,赤ちゃんが理解できたとして,その回答を我々が理解することも困難
 - ということで,現実にこの問の答えはない
 
 
 - こういう思考実験は面白いし大好き