Zoomの創業者のビザは9回目で通った

配信URL:(配信済みになったら記入)

台本

オープニング

【ジングル】 はい,どうもこんにちは.「雨宿りとWEBの小噺」始まりました.気づきの配達屋 Keethこと桑原です.

この番組では,気にも留めていなかったものに光を当てることで,世界の見え方が少し変わるかもしれない,そんな Web 業界の裏話や小噺をご紹介しております.

今回のお題は「Zoomの創業者のビザは9回目で通った」です.

本題

「じゃあ来週,Zoomで」.この言い方,もうすっかり定着しましたよね.会議をするという意味の動詞として,サービス名がそのまま使われている.こういうことって,そんなに頻繁には起きません.検索するという意味でググる,くらいでしょうか.十年ちょっと前に生まれた会社の名前が,今では世界中の予定表の中に入り込んでいるわけです.

そのZoomを作った人の名前を,エリック・ユアンさんといいます.中国の生まれで,本名は袁征,中国語の読みで「ユエン・ジェン」さんです.今もZoomのCEOをやっている方です.

このユアンさん,アメリカで働くためのビザを申請したときに,8回連続で断られています.1回目が却下,2回目も却下,3回目も却下.そのまま8回です.期間にして,だいたい2年.

これ,何回で諦めますかね.僕だったら3回目くらいで「これは縁がなかったな」と思って,別の道を探し始めると思います.少なくとも8回目を出す前には,一回冷静になるはずです.でもユアンさんは9回目を出しました.そしてその9回目が,通ってしまう.

今日はこの,8回突き返された紙切れの話をします.そこから,自分が作っているものを誰も喜んでいない,と気づいてしまった人の話になって,最後は,あの社名が実は子ども向けの絵本から取られていた,というところまで行きます.

まず,ユアンさんがどういう人なのかというところから始めます.

生まれは1970年の2月,中国の山東省,泰安という街です.ご両親は二人とも鉱山の技術者だったそうで,ユアンさん自身も大学では応用数学を専攻して,副専攻でコンピュータの応用をやっています.そのあと北京の中国鉱業大学というところで,地質工学の修士を取っている.名前のとおり,地面の下を掘る方の学問ですね.つまりこの時点でのユアンさんは,どう見てもシリコンバレーに行く人のコースを歩いていません.親と同じように,中国のどこかの鉱山で技術者をやる,というのが素直な未来だったはずです.

ちなみに私生活の方も早くて,22歳のときにシェリーさんという方と結婚されています.今もご夫婦で,お子さんが3人いらっしゃいます.

で,人生が曲がるのが1995年です.このとき25歳のユアンさんは,仕事で日本に来ていました.そこでビル・ゲイツさんの講演を聞くんです.

これ,地味に面白いところだと思っています.中国で生まれ育った人が,日本に出張していて,そこでアメリカ人の話を聞いて,アメリカに行くことを決めた.経路が完全に三角形になっているんですよね.インターネットというものがこれから世界をひっくり返す,という話を,日本のどこかの会場で聞いて,「これは自分がやるべきことだ」と思ってしまった.

そこからビザの申請が始まります.そして冒頭の話に戻るわけです.却下,却下,却下.8回.

ここで一つ言っておくと,なぜ8回も断られたのか,その理由は公表されていません.当時の中国からアメリカへの就労ビザというのは,審査の基準が外から見えにくくて,何が足りなかったのかは本人にも分からなかったと言われています.しかも,1回断られたらそこで終わりではなくて,また書類を用意して,また手数料を払って,またあの緊張する面接を受け直す.それを8回です.しかも2年かけて.

僕はここが,この人の一番すごいところだと思っています.技術力とか先見性とか,そういう話の前に,まず,突き返された窓口にもう一度並べるかどうか.

9回目が通って,ユアンさんがアメリカに渡ったのが1997年.27歳のときでした.

そしてここが,僕がこの回で一番みなさんに聞いてほしいところなんですけど,渡米した時点でのユアンさんは,英語がほとんど話せませんでした.

でも,コードは書けた.だから,当時できたばかりのビデオ会議の会社,WebExというところに,最初の20人くらいの社員の一人としてエンジニアで入れたんです.

この「英語は無理だけどコードは書ける」という状態,僕はちょっと分かるところがあります.というのも,僕自身,やり取りが全部英語という現場に,常駐で入っていたことがあるんですよ.朝会も英語,GitHubのやり取りも英語,Slackも全部英語.日本にある日本法人の会社なんですけど,中で動いている言語だけが完全に英語という環境でした.

僕はそこにベンダーとして入っていて,窓口をやってくれたPMの方はもちろん日本人で,日本語も通じるし,必要なところでは通訳もしてくれた.なので完全に孤立していたわけではないんですけど,朝会で自分が昨日やったこと,今日やることを共有するところは,自分でやらないといけない.どうしていたかというと,先に英語で文章を作っておくんです.書いて,組み立てて,それを読み上げる.そうすれば,まあ,なんとかなる.

問題は同期のやり取りの方でした.非同期,つまりテキストで書いてあるものを読んで返す分にはいいんですよ.時間をかければ読めるし,書ける.でも,「これはちょっと口で話した方が早いですね」となって,Slackで実際に喋り始めた瞬間に,急に難易度が跳ね上がる.向こうは普通の速度で喋ってくるので,まず速い.そして発音が聞き取れない.

これ,本当に申し訳ないんですけど,インドの方の英語のアクセントが,僕には本当にきつかったです.全然聞き取れない.クセが強いというレベルではなくて,同じ英語だと思えないくらい違う.結局,分かるところだけをなんとか拾って,たどたどしい英語で返して,あとは「やっぱりテキストにしましょう」と言って非同期に戻る,ということを何度もやりました.めんどくさいんですけど,その方が確実なので.

だから,ユアンさんが英語を話せないままアメリカに渡って,それでもエンジニアとして採用された,という話には,妙に納得感があります.コードは,発音の影響を受けないんですよね.書いたものはそのまま伝わる.逆に言うと,喋りの速度で勝負しなくていい職種だったから,このスタートが切れた.そういう面はあると思います.

さて,そのWebExですけど,会社としては大成功します.ビデオ会議という分野の先駆けみたいな存在になって,2007年,Ciscoという巨大なネットワーク機器の会社に買収されました.

ユアンさんはそのままCiscoに移って,エンジニアリング担当のバイスプレジデント,つまり技術部門のトップの一人になります.率いていたエンジニアの数が,およそ800人.同じ年にアメリカの市民権も取っています.

ここまでの流れだけ見ると,完璧な成功譚ですよね.ビザを8回断られた青年が,10年で大企業の役員になっている.給料も肩書きも申し分ない.

ところが,本人は全く幸せではありませんでした.

ユアンさんが後に振り返って言っている言葉があります.退職する前の1年間,WebExを使っていて本当に満足している顧客に,自分は一人も会わなかった,と.

これ,かなり強烈な言い方だと思います.一人も,です.自分が技術のトップとして800人で作って,世界中に売っているプロダクトについて,喜んでいる人に一人も会えなかった.しかも本人は,朝起きるのが嫌になっていた,という趣旨のことも語っています.

僕はこの話を読んだとき,正直,胃のあたりが少し重くなりました.心当たりがあるからです.

受託で開発をしていたときの話なんですけど,社内SNSを作る案件があったんですよ.要は社内向けのチャットアプリですね.発注してくれた会社の窓口の方が,そのままプロジェクトの旗振り役でもあって,社内でもかなり上の立場の方でした.実績も十分にある方で,社内の信頼も厚かったんだと思います.

その方が作りたかったものは,志としては立派なものでした.将来的に新しい事業が生まれてくるようにしたい,若手がもっと台頭してほしい,実力のある人をちゃんと抜擢できる仕組みを整えたい.そのための土台として,社内のコミュニケーションの場を作るんだ,と.言っていること自体は,何もおかしくないんです.

ただ,作りながらずっと引っかかっていたことがあって.これ,他のメンバーは本当に使いたいんだろうか,と.

現場の人の声が,どうも入っていなさそうだったんですよね.あくまでその方が頭の中で構想したシステムで,「こういうものがあれば,みんなこう動いてくれるはずだ」という設計になっている.じゃあ実際に使う人たちは何に困っているのか,というところが,見えてこない.こちらは受託で入っている立場なので,作れと言われたものを作るんですけど,喜ぶのはこの人だけなんじゃないか,という感覚が,最後まで消えませんでした.

結果はどうなったかというと,リリースして,まずその方の近く,同じ部署の20人くらいに試しに使ってもらったんです.今でいうPOCですね.意見は出たらしいんですけど,あまり好意的ではなかった.そして,全社に展開するのはやめよう,というか,もう使わない,という意思決定が入りました.リリースからだいたい1ヶ月です.

保守の契約期間はまだ残っていたので,こちらは待機しているんですけど,直す機会がそもそも来ない.使われていないので,バグの報告も改善要望も上がってこないんですよ.あれは,なかなか独特の気分でした.

そして一番こたえたのが,そのあとの話です.同じ会社の他の部署では,もうSlackを導入していたんですね.そっちで十分じゃないか,という話になった.

これ,冷静に考えると,他の部署で使えているということは,セキュリティの審査も通っているし,予算的にも通せるということなんですよ.つまり,一緒に仕事をしていたその部署も,普通にSlackを使えたはずなんです.

最初からSlackでよかったんじゃないの,という.

もちろん,受託の仕事全部がこうだというわけでは全然ありません.基本的には,お客さん側でもちゃんと考えて,会社として方針を決めて,解決したい課題があって,伸ばしたい事業があって,そのために必要だからこれを作る,という話で来ます.そういう仕事の方がずっと多い.ただ,あの案件だけは,作っている最中からずっと「これ,誰が喜ぶんだろう」という感覚が消えなかった.

だから,ユアンさんの「満足している顧客に一人も会わなかった」という言葉は,僕にとっては他人事の名言じゃないんです.あれは,かなり具体的な気持ち悪さの記憶と結びついています.

ただし,決定的に違うところがあって.僕の場合はベンダーとして入った1案件です.終われば次の案件に行く.ユアンさんの場合は,自分が技術のトップで,800人の部下がいて,会社の主力プロダクトがそれだった.逃げ場がないんですよ.

それでユアンさんはどうしたか.まず,会社に提案しています.スマートフォンで快適に使えるビデオ会議の仕組みを,一から作らせてほしい,と.

これ,2010年前後の話だと考えると,かなり筋のいい提案ですよね.iPhoneが出て数年で,みんなが電話を持ち歩き始めていた時期です.そこに賭けたい,と言った.

でも,Ciscoはこの提案を通しませんでした.当時の会社としては,企業向けのソーシャルメディアの方に力を入れたかったんです.会社の判断としては,別に無茶苦茶ではないと思います.ただ,ユアンさんがやりたかったことは,そこにはなかった.

そして2011年,ユアンさんはCiscoを辞めます.

ここからが,僕がこの回で一番好きなところです.

ユアンさんが辞めたあと,一緒に働いていた800人のエンジニアのうち,40人が後を追って会社を辞めて,ユアンさんのところに来ました.しかも,それだけじゃない.ユアンさんが辞めるという話が広まってから1週間で,1000通くらいの「一緒に働きたい」という連絡が届いたと言われています.

40人が辞めてついてくる,というのは,控えめに言っても普通のことではありません.みんな大企業の給料と安定を捨てているわけですから.しかも,その時点でユアンさんの新しい会社には,何もないんですよ.製品もないし,顧客もいない.あるのは「今のビデオ会議は顧客を幸せにしていない,だから作り直す」という一つの考えだけです.

その状態で40人が動いた.これはもう,プロダクトの話ではなくて,この人と働きたい,と思わせるものが積み上がっていたということですよね.

会社ができたのが2011年の4月.ただ,最初の社名はZoomではありませんでした.Saasbee,サースビーという名前です.SaaSと,蜂のbeeを合わせた造語ですね.正直に言うと,ちょっとダサいです.

そして創業から2ヶ月後の2011年6月,300万ドルの最初の資金調達をします.出資したのは,TSVCというベンチャーキャピタルと,ダン・シャインマンさん,ビル・タイさん,マット・オッコさんといった投資家たち.

そしてもう一人.WebExの創業者である,スブラ・アイヤーさん本人です.

ここ,面白いと思いませんか.ユアンさんが「顧客を幸せにできていない」と言って飛び出してきた,そのWebExを作った当人が,飛び出した側にお金を出している.普通なら気まずい話になりそうなものですけど,そうはならなかった.おそらくアイヤーさんの側にも,自分の作ったものが買収されたあとにどうなっていったか,という思うところがあったんじゃないかと思います.

さて,社名の話に戻ります.Saasbeeという名前は,2012年の5月に変更されました.新しい名前がZoomです.

この名前がどこから来たか,なんですけど,これがちょっといい話で.タッチャー・ハードさんという絵本作家の『Zoom City』という子ども向けの絵本から取られた,と言われています.車がびゅんびゅん走り回る,小さい子向けの絵本です.

世界中の会議室で毎日使われている言葉の出どころが,子どもに読み聞かせる絵本だった.こういうの,僕は本当に好きです.重厚な企業理念から降りてきた名前じゃないんですよね.速い,軽い,びゅん,という語感がそのまま製品の狙いになっている.

製品としてのZoomが実際に世に出たのが2013年.そこからじわじわ伸びて,2019年の4月に株式を公開します.この年のIPOの中でも屈指の成績で,ユアンさんはここで一気に億万長者になりました.

そして2020年です.

ここからの数字が,ちょっと現実離れしています.2019年の12月の時点で,1日に使う人の数が1000万人くらいでした.それが2020年の3月には,2億人になっています.3ヶ月で20倍です.

コロナ禍で世界中が一斉に在宅勤務になった結果ですね.みなさんもこの時期に初めてZoomを使った,という方が多いんじゃないでしょうか.

で,ここで面白い,というか,皮肉な展開になります.

急に使われすぎた結果,Zoomのセキュリティの穴が一斉に見つかり始めるんです.一番有名なのが「Zoombombing」,日本語だとZoom爆撃とでも言えばいいですかね.会議のURLさえ分かれば知らない人が入り込めてしまって,全然関係ない第三者が突然会議に乱入して暴言を吐いたり,不適切な映像を流したりする,という事件が多発しました.アメリカのFBIが公式に注意喚起を出すレベルの騒ぎになっています.

さらに追い打ちがかかります.Zoomはそれまで,通信は「エンドツーエンドで暗号化されている」と説明していました.エンドツーエンドの暗号化というのは,送る側と受け取る側の間でだけ中身が読める状態にして,途中を通るサーバーの運営者ですら中身を見られない,という仕組みのことです.一番強い部類の守り方ですね.

ところが,シチズン・ラボという,カナダの研究機関がこれを調べたんです.そうしたら,実際の作りは説明されていたものとは違っていた.さらに,北米で行われていた会議の通信の一部が,中国にあるデータセンターを経由していたことも分かってしまいました.

これは,かなり厳しい状況です.世界中が急にこのサービスに依存し始めたタイミングで,安全性の説明が実態と違っていた,という話になったわけですから.

ユアンさんがどうしたかというと,2020年の4月2日,ブログで謝罪します.自分たちは,コミュニティの期待にも,自分たち自身の期待にも届かなかった,と認めたうえで,そのことを深くお詫びします,と書いています.

そして,ここからの対応が僕はすごいと思っていて.これから90日間,新しい機能の開発を全部止める,と宣言したんです.いわゆる機能凍結ですね.エンジニアの手を全部,セキュリティとプライバシーの方に振り向ける,と.

ユーザーが3ヶ月で20倍に増えている,つまり,作れば作るほど売れる状態です.そのタイミングで新機能を止めるというのは,普通なかなかできる判断ではないと思います.株価はこの発表のあと11パーセント下げました.

ただ,僕はこの一連の流れを見ていて,妙に一貫しているな,と感じます.

Ciscoを辞めた理由が「顧客が満足していない」でした.そして,世界中に使われるようになったあとで,顧客が安心して使えていない,という状態になったときに,売上が伸びる方の作業を止めて,そっちを直しに行った.言っていることと,やっていることが,10年越しで揃っているんですよね.

もちろん,あの状況では止めざるを得なかった,という見方もできます.批判をかわすための判断だった,という言い方もできる.ただ,同じ状況で機能追加を続けた会社も過去にはいくらでもあったので,僕はこの判断自体は評価していいと思っています.

最後に,名前の話をもう一つだけ.

ユアンさんの中国名,袁征の「征」という字ですね.これは,遠くへ出かけていく,遠征する,という意味を持つ字です.

生まれたときに付いていた名前が,そのまま人生の要約になっている.中国の内陸の街で,鉱山の技術者になるはずだった人が,日本で聞いた講演をきっかけにアメリカを目指して,8回断られて,9回目で入国して,最終的には世界中の会議室に自分の作ったものを置いた.たぶんご両親は,そんなつもりでこの字を選んだわけではないと思うんですけど,結果として出来すぎています.

さて,そろそろまとめます.

僕がこの回で一番言いたかったのは,あの「8回」の数え方の話です.

8回却下された,と書くと,通らなかった回数の話に聞こえます.失敗の記録ですよね.でも,同じ出来事を,9回出した,と書くと,全く違うものになる.挑戦の回数の記録になります.出来事は完全に同じなのに,どちらを数えるかで意味が反転する.

そしてもう一つが,「顧客が喜んでいない」という感覚の扱い方です.

作っているものを誰も喜んでいない,と気づくこと自体は,実はそんなに難しくありません.現場にいれば,だいたい分かります.僕もあの社内SNSの案件のとき,作りながら分かっていました.

難しいのは,気づいたあとです.ユアンさんの場合は,役員の椅子と800人の部下と,たぶん相当な額の給料を手放して,何もないところから始め直した.そして,40人がそれについていった.

僕はあのとき,気づいてはいたけど,作り切って,納品して,次の案件に行きました.受託で入っている以上それが仕事ではあるので,そこは間違っていないと思っています.ただ,「これ,誰が喜ぶんだろう」と思いながら手を動かしていたあの数ヶ月のことは,何年経っても妙に覚えているんですよね.

📎 https://en.wikipedia.org/wiki/Eric_Yuan 📎 https://www.cnbc.com/2019/08/21/zoom-founder-left-job-because-he-wasnt-happy-became-billionaire.html 📎 https://www.forbes.com/sites/alexkonrad/2019/04/19/zoom-zoom-zoom-the-exclusive-inside-story-of-the-new-billionaire-behind-techs-hottest-ipo/ 📎 https://medium.com/authority-magazine/the-inspiring-immigration-backstory-of-zoom-founder-eric-s-520b4b35f477 📎 https://en.wikipedia.org/wiki/Zoom_Communications 📎 https://techcrunch.com/2020/04/02/zoom-freezes-feature-development-to-fix-security-and-privacy-issues 📎 https://www.cnbc.com/2020/04/02/zoom-ceo-apologizes-for-security-issues-users-spike-to-200-million.html 📎 https://cyberscoop.com/zoom-security-privacy-founder-eric-s-yuan-apology/

エンディング

【エンディングBGM】 さて,そろそろ今回もクロージングです. 今回は「Zoomの創業者のビザは9回目で通った」について話しました.

次回も,Webテクノロジーの小噺をお届けします.

この番組が気に入った方は,ぜひチャンネル登録をお願いします. また,あなたからの感想やリクエストもお待ちしております! 𝕏で #WEB小噺 をつけて投稿していただくか,概要欄のお便りフォームからお送りください.

それでは,また次回の雨宿りでお会いしましょう!「雨宿りとWEBの小噺」お相手は Keeth でした.さようなら! 【ジングル】

📚 参考情報

確認済み

  • 生年月日は1970年2月20日,山東省泰安の生まれ.応用数学の学士(副専攻はコンピュータ応用), 中国鉱業大学(北京)で地質工学の修士|📎 Wikipedia: Eric Yuan
  • ビル・ゲイツの講演を聞いたのは1995年,日本.当時25歳
  • ビザは8回却下され,9回目で取得.渡米は1997年,27歳.市民権取得は2007年 (⚠️ 旧タイトルの「9回却下」は誤り.Bloomberg も Authority Magazine も "rejected eight times")
  • WebEx には最初期20人の一人として入社.Cisco の買収は2007年,肩書きは VP of Engineering
  • Cisco 退職は2011年.800人のうち40人が追って退職,1週間で約1000通の応募
  • 創業は2011年4月,旧社名は Saasbee.2011年6月に300万ドルのシード. 出資者に TSVC,ダン・シャインマン,ビル・タイ,マット・オッコ,WebEx 創業者スブラ・アイヤー
  • 社名変更は2012年5月.由来は Thacher Hurd の絵本『Zoom City』|📎 Wikipedia: Zoom Communications
  • 製品ローンチ2013年,IPO は2019年4月
  • DAU は2019年12月に約1000万 → 2020年3月に2億
  • 2020年4月2日に謝罪ブログ,90日間の機能凍結を宣言.発表後に株価は11%下落 |📎 TechCrunch/CNBC/CyberScoop
  • E2E 暗号化の説明と実装の乖離,北米セッションの一部が中国のデータセンター経由だった件は Citizen Lab の調査による

未検証(収録前に気になれば確認)

  • 「朝起きるのが嫌だった」という趣旨の発言の正確な言い回しと出典
  • 妻シェリーさんと22歳で結婚,子ども3人(Wikipedia のみ)
  • 「征」の字義の解釈は一般的な字義に基づく.本人がそう語った記録は未確認

🎙️ 収録メモ

焦点:エリック・ユアン(袁征)
これは,8回突き返されたビザ申請書と,「顧客が喜んでいない」という感覚と,
社名が子ども向けの絵本から来ているという話です.
  • トーン
    • 冒頭は軽く.「Zoomで」の定着ぶりを日常の話として置いてから,8回却下で落差を作る
    • 全英語の現場のくだりは笑いどころ.インド英語の話は自虐で明るく
    • 社内SNSの案件のくだりはトーンを落とす.ここが本編で一番静かな場所
    • Zoombombing 以降は少しテンポを上げる
    • 「征」の字と,8回か9回かの数え方の話は,ゆっくり言い切る
  • 強調ポイント
    • 「満足している顧客に,一人も会わなかった」— 一人もにアクセント
    • 何もない会社に40人がついてきた
    • 出資者に WebEx の創業者本人がいる
    • 売上が20倍に伸びている最中に新機能を止めた
    • 同じ出来事が「8回却下」と「9回出した」で反転する
    • 合計:約 28〜30 分
    • オープニング:30 秒〜1 分
    • 本編:26〜28 分
    • クロージング:1 分
  • タグ
    • WEB小噺 #Zoom #エリックユアン #ビザ #受託開発

results matching ""

    No results matching ""